『エンディングノート』(2011年,日本)/価値ある作品。でもみんな“何か”が引っ掛かってる。
1号です。
口コミで評判が拡がり2ヶ月以上のロングラン上演となっている話題作『エンディングノート』を観てきました。
『エンディングノート』
監督:砂田麻美/製作・プロデューサー:是枝裕和/音楽・主題歌:ハナレグミ
出演:砂田知昭 ほか<あらすじ>
“ザ・団塊世代”として日本の高度成長期を支えてきたサラリーマン・砂田知昭。定年を迎えて第二の人生をスタートさせたばかりの彼は、突然のガン宣告を受けてしまう。「段取り」が大好きというサラリーマン時代の性癖は抜けることなく、彼は闘病生活のかたわら「エンディングノート」と呼ばれる自分が逝く際の「段取り」をまとめはじめる――― その一部始終と彼を支える家族の姿を実の娘が撮影し続けた感動のドキュメンタリー作品。
評判どおり家族の愛を感じさせる素晴らしい作品でした。
1号が観た回でもずいぶんと泣いている方がいらっしゃいました。
正直それ以上にあまり語ることはなかったりします。
まあでもそれでは記事にならないので論点をひとつ。
この映画は激賞されつつも一部で「いい作品なんだけど“何か”が引っ掛かってしまって釈然としない」という感想を持つ人たち*1がいたりします。
1号は、この素晴らしい映画に対して釈然としない感想を持たせる“何か”の正体を
「出来すぎた家族である砂田家に対する嫉妬やコンプレックス」だと理解しました。
なぜなら、この映画は砂田知昭という団塊世代のオジサンが同世代へ向けて「どうだ、俺の死に方はうらやましいだろ!」と見せ付け自慢している作品、という見方もできるからです。
この映画の唯一にして最大のストロングポイントは、愛情で固く繋がり、皆が幸せに溢れ、ドラマのように理想的な砂田一家の姿そのものだと1号は考えます。
- 営業一筋のモーレツサラリーマンとして丸の内の一等地に本社を構える企業で高度成長期を駆け抜け、最終的に専務まで出世*2。
- 自宅は代々木に建つ一戸建て。
- 恋愛結婚した美しい妻。
- 人生に彩りを添える嫁姑問題や夫婦喧嘩*3
- 母の美しさを受け継ぎ、幸せな結婚をしているらしい長女。
- 父の才能を受け継ぎ、恐らく出世コースをひた走っているアメリカ出張中の長男。
- 問題児で結婚もせず自由に生きる(でも一番かまってくれる)次女。
- そして“じいじ”の危篤を知れば、仕事や学校の都合をかなぐりすててでも生後間もない乳児を含む3人の孫を見せに帰国してくる息子夫婦。
- 最後まで介護を必要とせず、死の数日前まで自分で歩き会話も可能だった病状。
- 死に瀕してもうろたえず「怖いよぉ」と泣かない気丈な父。
- 涙する家族に囲まれて迎える最期の時。
すごいでしょ?
監督やプロデューサーが確信犯的に不都合な部分をカットしているのかもしれませんが、さながら日本版ソープオペラを作ったらこんな感じという良くできた家族です。「理想的な家族」と「一家の父のがん告知」が揃った時点で、このドキュメンタリー映画は既に勝利していたといえます。だって演出しなくても「大衆が観たいお涙頂戴ホームドラマ」が自動的に生成されてしまうわけですから。
リアルさを出すためにドラマ制作者たちが敬遠していった「ベタベタなホームドラマ的な家族」の姿がそこにありました。事実はドラマよりベタなり。
でも視聴者全員が、こんな家族に所属できているわけではありません。特に現役世代はそうでしょう*4。
この自分の現実との落差が、嫉妬やコンプレックスとなって釈然としない気持ちにさせたのだと1号は思っています。
もちろんこれは視聴者側の都合に過ぎず、作品そのもののクオリティや砂田麻美監督の才能を毀損するものではありません。
1号も謹んでお父上のご冥福をお祈りする次第です。
最後にひとつ。
<映画「エンディングノート」オフィシャルサイト>によしもとばななの推薦文が載っているので抜粋します。(太字は1号による)
なんで監督のパパはこんなに最後まではっきりしていられるのか、
なんの力が彼を動かしているのか。
それはやはり結束のかたい家族への愛なのだろう。
みんながあきらめているような奇跡がさりげなく実現していて、
感動以上にまず驚いた。
この映画は希望だと思った。――よしもとばなな(作家)
上で1号がつらつらと無粋な書き方をした内容を、端的かつ洗練された形で表現してしまうよしもとばななの筆力には舌を巻くほかありません。
まあ彼女もまた偉大で厄介な父親を持つ、末娘ですからね。