『アンダーグラウンド』(2005年,フランス・ドイツ・ハンガリー)
1号です。
エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』を観てきました。
『アンダーグラウンド』
監督・脚本:エミール・クストリッツァ/出演:ミキ・マノイロヴィッチ、ラザル・リストフスキー、ミリャナ・ヤコヴィッチ/原案・脚本:ドゥシャン・コヴァチェヴィチ/撮影:ヴィルコ・フィラチュ/美術:ミリェン・クリャコヴィチ/音楽:ゴラン・ブレゴヴィチ
公式サイト
あらすじはこんな感じ。
舞台は第二次世界大戦期のユーゴスラヴィア。
マルコ(詐欺師)はクロ(武闘派)を仲間に引き込み、戦時の混乱に乗じた闇商売やナチスの進駐軍へのゲリラ運動で富と名声を勝ち得ていた。
「ナチスの追っ手から逃れるため」、クロ(武闘派)は仲間や親族の老若男女数十人とともに地下空間=アンダーグランドへ身を隠す。
しかし、これはクロ(武闘派)が求婚していた花形舞台女優のナタリア(宮沢りえ似)を奪うためマルコ(詐欺師)が仕組んだ策略だった。
その後、マルコ(詐欺師)はナタリア(宮沢りえ似)と結婚して第二次世界大戦終戦後はチトー政権の幹部へ出世する一方、地下のクロ(武闘派)らにはナチスの侵攻が続いていると思い込ませ20年間*1にわたり地下空間へ閉じ込め続ける――
にわかオシムファンの1号としては、イビツァ・オシムも体験したであろう祖国ユーゴスラヴィアの悲劇と喪失を描いた本作は見逃せませんでした。
あらすじを見ればわかるとおり、実に陰惨な話です。
メインキャラクターの大半は死にますし、主人公たちは人に向けて銃を撃ちまくります。
でも、Youtubeの予告編動画を観ればわかるとおり映像は軽快でむしろ愉快、そして何よりオシャレなのです。
本作の、そしてエミール・クストリッツァ監督の凄みはそこにあると1号は感じました。マジですごい。これは観てほしい*2。
観ている間、似てるなと思っていたのが残酷な行為やメチャクチャな行動もどこか憎めない笑いに変えてゆく感じは『モンティパイソン』や『ドリフ大爆笑』。そして思わず悔しくなるほどの洒落た映像と音楽のセンスのよさは『ロシュフォールの恋人たち』。
なんでもないシーンでもセンス良く撮ってしまう撮影監督のヴィルコ・フィラチュ。
とてつもない予算と規模で幻想的なセットを作り上げた美術担当のミリェン・クリャコヴィチ。
予告編動画のブラスバンドの音を聴きなおしただけで1号の心が再び躍らせてしまう音楽担当のゴラン・ブレゴヴィチ。
彼ら主要スタッフは“クストリッツァ組”としてエミール・クストリッツァ監督作品のクオリティを支えているとパンフにも書いてありましたが、彼らがクストリッツァの脳内にある「人の想像を超えた映像」を現出させるべく非常によい仕事をしたのであろうと思います。自分の語彙の足りなさを悔やみたくなるくらいに素晴らしい。
その一方、ストーリーの脈絡が繋がらない不条理な飛躍や現実と虚構が入り混じる演出などもあるので「分かりやすさ」に重きを置く人には向かないかもしれません。
本作は、能だったり前衛演劇にしばしば見られる「浸かって楽しむ」タイプの映画だと1号は思います。
映写時間2時間51分。観終わったあと疲れきった。しかしその疲れは夢にしか見たことのない御馳走を食べて食べて食べすぎた胃の痛みであった。映画はこれくらいたんのうすると疲れきる。けれども私はいま、この映画をさらに2度3度と、浴びるくらいに見たい。
このパンフに掲載されていた淀川長治の日本初公開時のパンフレットへ寄稿した文章の一節でも「浴びる」という表現が出てきます。
クストリッツァは、素人が見ても分かるレベルの天才です。
それは映画監督を志す若い人が自信を失くして絶望しかねないほど強烈なものでした。
他の作品もちゃんと観ておこうと思った1号でした。